前回の投稿https://sametashark.hateblo.jp/entry/2022/04/27/001211 に、対話相手であるid:Shin-Fedor氏からの丁寧なレスポンスをいただいた。
関連のブコメや投稿を拝見するにつれ、色々と考えることがあったので、再び書いてみることにした。
この投稿への返信が中心になるので、まずはご覧いただきたい。
(投稿へのブコメも併せて)
自分の投稿後に感じた事
前回の者は、書き始めてから公開までにほとんど2日はかかったと思う。
主に、推敲の時間だった。
それぞれの見出しに沿ってまず書いて、その後できるだけ邪魔なものを排除して、必要と思える部分の表現と順序を注意深く見直した。
(これは自分がやりたいからやっただけであり、誰かに何かを負わされたとか労えということでは全くない)
あれだけのリソースを割いて対話と理解を望む人を雑に扱う理由はない。
それでも、自分を顧みつつ「人は読みたいところだけ読むものだから…表現の拙い部分もあることだし…」と思っていたら、ブコメでは相互理解を支援する形で視点を補ってくださる方もいて、オープンな場でやり取りする事の害よりも、利点を強く感じる結果となった。
私も普段、ブコメでは単純な批判・擁護よりも視点の補足をしたくなるたちなので、同様にしてもらえることがうれしい。
Shin-Fedor氏の投稿後の後に読んでくれる人が増えたので、自己満足となりそうだがそのうちブコメについても100文字の制限なく書いてみたいと思う。
本題:Shin-Fedor氏の投稿への返信
そうなんです。冷めた鮫だったんです。
…冗談はさておき、前回の投稿を読んで丁寧にレスポンスをくれたShin-Fedor氏にお礼を言いたい。
私は、ジェンダーの話題で相互理解を考えるのであれば個人を見るべきだし、その個人のバックグラウンドの情報なくしては難しいと考えている。
「こういう経験をしたある個人が見る、この問題と、その人が望む社会の方向性」を先に置くことで、想像力が自動的に補う言葉のニュアンスは大きく変わると思った。
そこで、自分の経験や、自分に助けを求めてくれた身近な女性達の話を通して、法律や社会から悪と認められているのは、条件の揃ったほんの一握りの人間だけである事を意識してもらえないかと考えてあの構成にした。
それを、見事にくみ取ってもらった形になった。
ブコメにあるように「背景はこの話題(たわわ広告表現の是非)に関係ない」「そんな私怨で世の中を動かすな」といった反応があることは予想していたが、Shin-Fedor氏はそこには触れず、
■当事者性の違いから来る大きな差分
たわわ対話の件。お礼と感想(追記あり2) - はてブの出来事
と理解を示してくれたことに感謝したい。
この感覚はよくジェンダー関連のブコメで見られる地続きという感覚の理解(≠納得)にもつながるのではと期待している。
■当事者性の違いから来る大きな差分について
当事者性が低いと書いたが、「オタクカルチャーの、ある種のディープな側面を知らない」「男性であり、女性のような性被害とほぼ無縁だった」という意味だ。広くエンタメ産業にかかわる一人の日本人としての当事者性はめっちゃ高いと認識している。また、何より今回明らかになったように「女性の差別に対して鈍感であり、加担することになっている」という意味では、むしろ当事者性をもっと自覚した方がいいということになる。
この辺を区別して書いてもらえたので、もう十分伝わっているのではないかと思う。
私はこれまでに受けた感覚を完全に追い払ってものを考えることは不可能だし、他の人も自分の立場や感覚を払って物事を考えることは不可能だと思う。
目に飛び込んでくる広告に関してはある意味でみんな当事者だから、多面的に判断してより良い結論に向かっていく必要がある。
全方位を満足させる100点の答えはおそらくないが、全方位70点くらいを狙うことはできるかもしれない。
そのためにも、両極論に至る因果を紐解いて、柔軟に間を取りに行くことができる「理解者」「協力者」が必要なのだと思った。
バックグラウンド、男オタ所感、女オタ所感について
はてブの「男性オタク」の大半はそんな感じだと思うよ。だから話がガチで噛み合わないんだ。
片方から見れば「ホッテントリ等でヤバい話がたくさん話題に上っている」のに、もう片方では「とぼけているわけではなく、話題として認識できないことがある」のはありうる話かと思う。
本人が望む望まざるにかかわらず、属性や趣味嗜好によるシステム的、無意識的な「フィルターバブル」や「エコーチェンバー」*1も作用するようなので。
※観測した各種サンプルをスクショ等で例示したいところですが、リアルの人間関係を切り離して安心してブコメ書くためのsametasharkなので、割愛します。(イラスト系広告の批判って、その辺切り離さないと人間関係に影響出るから書けないくらいの雰囲気なんですよね)
また、一口に男性オタクと言っても、
- 私
知る限りの男性オタク=(安全なオタク+ヤバいオタク)
一定の割合でヤバいオタクがいて、その一部が現実世界でも問題を起こしていると感じている。 - Shin-Fedor氏
(はてブを中心とした)知る限りの男性オタク=安全なオタク
そんなにヤバいオタクは多くないので、他の人はイメージで無闇に怖がっているのだろうと感じている
を指しているのが、このやりとりで読み取れた。
私としては、やりとりの発端となった私のブコメに、スターがたくさんついているのは、ヤバいオタクとなんらか関わっている人達だと思うのだが、もしかするとShin-Fedor氏は「その印象は誤解に基づくものでオタクは平和な存在だ」という出発点もあったのかなと思う。
ただ、平和なオタクがそう思うのと同時に、客観的に見てヤバいオタクも自分のことを「普通のオタク」だと認識しているところはポイントになるかもしれない。
前回の例には色んなキーワードをちりばめたので、気が向いたらブラウザのシークレットモードを使って、それぞれのキーワードのTwitter検索、Google検索をしてみていただきたい。
例:
妊娠検査薬とは (ニンシンケンサヤクとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
コラ画像に関するブームはこのページの中段に書かれていて、いまだに面白がって作ってる人がいるんですよ…
たわわ広告へのスタンス、作品の内容について
結論を一つにまとめることは不可能だし、日経についても各々求めるものが違うことなので、もちろん否定も肯定もなく、意見や方向性の一つとして理解しています。
id:hepta-lambada氏のエントリーも興味深く読ませてもらいました。
私も以前、このように書いているので、感覚としてはそれほど遠くはないのだと思う。
「女性が年をとると若い女の子がかわいくてたまらなくなる現象」に賛同の声…年配女性が若い女性に嫉妬するフィクションは何だったの?
子供いるいない関係なく実際若い子は守るべき可愛さを感じる。痛みがわからないとか何神話なんだ。自分達が踏まされて後で後悔してることを予防しようとすると、世代の感覚に合わないってことはあるかもしれない。
2022/04/20 15:12
ブコメやりとりの逆視点
こちらの言っていた意味が伝わったようでよかったです。ブコメの流れ含め話題への先入観が強かったゆえに仕方がなかったのだな、ということは理解しました。
「たわわについて、はてブでは」確かにこれまでより理性的なものが多かったように記憶してますね。
ただ、今見ても「広告としてエロくもなんともないし何も問題ないと思う」「お気持ちで難癖」「この広告の何が問題なのか?毎度お気持ちで騒ぐ以外にやることないの?」「この内容の作品だったら日経新聞の一面広告も大丈夫」が見つかるので、やはり観測する際の範囲や閾値の違いの影響は大きいのだと思う。
念のためだけど、sametashark氏が「男性があれについて~」といわずに「JKだったことも乳房ついてたこともない人があれについて~」とか、そういう複雑な言い方をした意図が俺にはわからんかったのね。俺だけなのだろうか?
これは相手への信用の話と絡むよるような気はするけれど、広告でも文章でもそう表現する意味って必ずあると思うんですよね。もちろん、Shin-Fedorさんは質問として
「回りくどい言い方をするのはどういう意図があるんだ?」
とくださっているので、それを「自分なりに解釈するときに、その表現を入れる適切な箱が見つからなかった」って意味なんだろうなと想像して解説します。
広告イラストの表現に当てはまらない人はおおむね男性ではあるが、男性も当てはまる場合があるし、女性が当てはまらない場合もあるからです。
- 前提として、広告のイラストに含まれる表現の言語化。
イラストと作品タイトルで、制服を着た女子高校生(JK)の乳房に注目させている。 - ”女子高校生というブランド"を背負ったことがあるかどうか
JKのアイコンたる制服によって何らかのターゲティングをされた経験による。例えばトランスジェンダーや男子校のイベント等でJK制服を着た際に受ける視線の違いを体験している人もいる。 - 乳房がついていたことがあるかどうか
生まれながらの女性だけでなく、性適合手術であるとか、さまざまな理由でサイズの大小にかかわらず乳房をもったことがある人は、他者の言葉で恥ずかしい思いをしたり、好奇を注がれて不快な思いをした可能性がある。(もちろん、例に挙げた経験をしても特に何も問題を感じない人もいるが、”ついてたことがある”ので除外)
「たわわ以外」について、俺の反射感想(追記)について
繰り返しになりますが、ブラウザのシークレットモード、はてなのサブアカウント等を使って、それぞれのキーワードではてブ検索、Twitter検索、Google検索をしてみてほしい。
みんなJ-CASTの養分なりすぎ!
これについては、当時かなり話題になっていたのが見つからず、ブコメでおしらせいただいたので、ありがたく引用させていただく
ごちうさリプトン騒動の件はJ-Castしか見つけられなかったようなのでこちらも https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1794748 まとめ記事内の写真とかは見られなくなってるけど空気感の参考として
リプトンに怒られてから投稿消した人がいるんですが、内容としてはこんな感じでした。
滝沢ガレソ🐯 on Twitter: "【悲報】アニメ「ご注文はうさぎですか?(ごちうさ)」とコラボしたリプトンのお茶、各地でアニオタにとんでもない飲み方をされてしまう… "
こういうのに影響受けて自分も勇者の列に加わろうとわざわざ写真撮るような人がいて、身内から「あいつヤバいwwww」をもらって勲章とする場を見ているので…。
コンビニやファミレスで店内放送するコラボ
私がアレルギーを発症したのはCOCO'Sなのだけど、よく行く必要があるのでたびたびやられてしまう。
バックグラウンド開示について
拝見しました。
中高大でどっぷりじゃないなら、十分人格形成が終わってから趣味として持たれたのかなと想像しています。
※中高からふたばやvipに入り浸りつつアニメ等オタク活動をしてて、仕事中は切り替えててもプライベートになったらその感覚が出てくるような人とはちょっと違う気がするという意味で。
今の若者は子供のころからアニメやゲームの表現に触れているから、逆に現実世界とは切り離した区別ができているひとが多いというのも肌感覚としてはわかります。
余談
ここから先は、これを読んでくれる方々へなんか伝えたくなった内容。
私は法律の専門教育を受けたわけではないので、法律の役割、法律用語の用法や意味の理解に誤りがあるだろうことは前置きします。ニュアンスでとらえてほしい。
私に必要なこと、様々な背景から他人が重視する事、社会の秩序として法律が重視する事は異なる。
現実世界では「あなたがもっと大きな被害を受けるまで、自分は何もしない」「あなたさえ我慢すれば私は何も損をしない」「法律的には何も問題ない」という結論が出る場面にたびたび出くわす。
たとえそれが、目の前に被害にあって心身に傷を負った人がいる、親や友人や同僚、対応可能な裁量を持つ人間であってもそう。
他人の判断には、自身の利害関係、出来事の軽視・重視、加害者と被害者の社会的信用の差、その時の自分の気分を害した、自分が非難されているような気がした、自分の無力さを突き付ける理不尽さを感じた等様々な要素が絡んできて、けして一筋縄ではいかない。
つまるところ、性加害者の理屈を追認する圧が高いというのは強く言いたい。
女性の体つきを眺めるファンタジーを日経のような仕事や現実の延長線上に配置する事って、この辺の感覚をひどく警戒をさせるものなんですよね。
正直なところ、こう考えている。
日本の大部分のフェミニストは自由や平等なんてどうでもいいと思ってるか..
どうでもいいとは思わないけど、私は一旦立場逆転して30年くらいしないと同じテーブルで話し合うことさえままならない感覚の分断があると感じているから、「わからせ」的な方向にいくのも仕方がないと思ってる。
2022/04/21 13:48
親切なインターネットの快適さ「エコーチェンバー」と「フィルターバブル」
この2つの言葉に聞き覚えはあるだろうか。
「エコーチェンバー」とは、ソーシャルメディアを利用する際、自分と似た興味関心をもつユーザーをフォローする結果、意見をSNSで発信すると自分と似た意見が返ってくるという状況を、閉じた小部屋で音が反響する物理現象にたとえたものである。
(中略)
集団分極化はインターネット上で発生しており、インターネットには個人や集団が様々な選択をする際に、多くの人々を自作のエコーチェンバーに閉じ込めてしまうシステムが存在するとしたうえで、過激な意見に繰り返し触れる一方で、多数の人が同じ意見を支持していると聞かされれば、信じ込む人が出てくると指摘した。
類は友を呼ぶのインターネット版なのかもしれない。好ましいものを選んでいくうちに、多勢に属する感覚に陥る。
「フィルターバブル」とは、アルゴリズムがネット利用者個人の検索履歴やクリック履歴を分析し学習することで、個々のユーザーにとっては望むと望まざるとにかかわらず見たい情報が優先的に表示され、利用者の観点に合わない情報からは隔離され、自身の考え方や価値観の「バブル(泡)」の中に孤立するという情報環境を指す。
総務省|令和元年版 情報通信白書|インターネット上での情報流通の特徴と言われているもの
少し話を大きく広げすぎるような気もするけど、インターネットは"親切"なので、フィルターをかけて好ましい情報を目につかせ、嫌いな情報は非表示やレートを下げることで快適さを向上させている。
さらに、人間は目端にかかっても「見ない」選択ができるし、特定の情報を選択的に見てしまうこともある。
インターネットは広大なので、持論を強化しようと思えば肯定的な情報を集められるし、否定したければその根拠はいくらでも出てくる。(このあたりはShin-Fedorさんも同様のことをおっしゃっていたと思う)
自分も他人も同様に、自分の周りが偏っているときには気づきもしない、という話。
sametasharkによる選択的な情報提供となるのは承知の上で、もしこれから挙げるものを読んだことがない「性暴力とは無縁だった人」がいたら、いったん自分の意見を横に置いて覗いてみてくれないだろうか。
参考:“性暴力”裁判 被害女性が語った15分のことば
私はこの記事を読んで、被害者の手記には被害の大小にかかわらない本質的なことが書かれていると思った。
被告人は「何がこわいの?俺別に何も怖いことしてなくない?だって、暴力ふるったりとか、怒鳴ったりとかしてないでしょ?」
私もこれとほとんど同じ事を加害者に言われたし、その件を信頼して被害を相談した人からも言われた。同じ理屈でものを考え実行する人がいる。ブコメで見かけるロジックにも、これと見分けがつかないものがある。
みんなみんな、捕まっていないです。この社会では「しょうがないこと」「よくあること」という扱いをされるんです。
勤務先の社長、取引先の部長、今は2人の娘の父親になった同僚、学校の先生や職員、今では業界イベントの有名人…いろいろな顔が浮かぶ。
社会的な罰を受けないために、仮に録音録画されても証拠として不十分となるように、知識で武装した加害者はどこにでもいるし、同一人物に2度目をしなけれればいいだけで、謝罪が必要だとさえ思わないものも多い。
被告人の行ったことが「半年で治療を終えられる程度の行為であった」ということでは決してなく、被害者がたまたま周囲の環境に恵まれた私という人間であったからこそ、この被害の結果に収まっているのだと考えています。
これだけ被害回復に必死になってきたのに、その私の努力と、私の良い環境条件にただ乗りするようなかたちで被告人の罪が軽くなるのなら、あまりに馬鹿げた話だと思います。
“性暴力”裁判 被害女性が語った15分のことば
これだけ証拠がそろっている裁判の法律的解釈でもこのようになってしまう。
ブコメを見ていると、どんな話題でも「法的には」を枕に物事を断じる人がいるのだけど、もちろんその基準を守ることは大切だとしても、「過去の社会では問題ないとされてきた秩序」「法律で罰せられないために最低限守るべき基準」というだけであって、矛盾や理不尽がないわけではないし、「私が被害に遭った時に、私を助けてくれるものか?」には明確にNOを突き付けてくる場合もある。
相手が否認したら、傷をえぐりながら相手の罪を証明しなきゃいけないのは被害者だし、客観的に罪が認められたとしても、心からの謝罪、相手の改心、自身や他人への再発防止、被害の補償がそろうことは期待できないかもしれないわけで。
ブコメで
男性が強姦被害者なることができた"のは2017年
と教えてくれた方がいたけれど(ありがとう)、法律の改正は行われているし、そのためによりマシな基準は常に探さないといけないものだと思う。厳しくするのも、もしかしたら、ゆるくするのも。
月曜日のたわわ=エロ漫画と同じなのか?
プライバシーもヘイトスピーチもパワハラセクハラも、お気持ちが先で法律が後だったってこと忘れてる人がいるようだ。性的なものへの忌避は不快な経験と結びつくからなので、そういう思いをさせた男を叩いてくれんか
2022/04/10 08:15
「叩いてくれんか」は過激ではあるけど100文字では(以下言い訳略)
参考:以前ママ友にガンダムをすすめられた増田だ。
最近のホッテントリで、たわわ由来で書かれた増田の中で記憶に強く残ったもの。
(念のため先に書くがこの増田は私ではない)
タイトル詐欺だと言われているが、おそらくタイトルに「たわわ」と入れるだけで避ける人、食いついてくる人、特定派閥に組み込んで読む人、荒らす人が出てくるので、それを避けて、内容を読む人向けに書かれたものだと思っている。
内容を読んでから「記事への反応」「ブコメ」を読むと、世の中にはいろんな人がいることがわかる。
参考:書籍「妻はサバイバー」
被害の自覚を持たないまま、それが別の形で噴き出し、治療のために受けたカウンセリングで因果として浮かび上がってくる人もいることは片隅にとどめておいてほしい。(私は全文公開中に読んだが、内容を心にとどめつつ、枝葉の部分にブコメをつけることしかできなかった)
終わりに
今回も書き始めて2日かかってしまった。全然関係ない事もたくさん書いた。
その間に、なんだかこのやり取りを見たほかのブクマカさんたちも、ブログを書かれている様子だ。
興味深いのでこれから読ませていただくのだが、既にたくさんのブコメがついているのを眺めるに、バックグラウンドの違いで読めていない部分や、その話とこの話は別の問題なのに何絡んでんのあんたら…というようなのも見かける(我が身を振り返りつつ)
ブコメに反応しすぎるのは健康を害するおそれがあって、意見の異なる有象無象の説得を試みるのは徒労に終わることばかりなので、皆さんご自愛いただきたいと思う。
情熱を注いでたくさん書いた内容が人に読まれて、誰かの気づきにつながり、良質なレスポンスが返ってくるというのは、喜びと同時に結構強い麻薬であるとも感じた。
私としては、本件についてはそろそろ本来の内容が薄れて、(私が)隙あらば自分の言いたいことを書くのに始終してしまう頃合いなので、この辺にしていちブクマカに戻ろうと思う。
今回、Shin-Fedor氏のお誘いで良い経験をさせてもらったことに改めて感謝をしたい。