冷めた鮫にはヒレがある。

時事ネタ考え事など

「クレイジーホース・パリ 夜の宝石たち」を見た。

フランスにある、ストリップショー/バーレスクショーのお店のドキュメンタリー映画。R-15+。

 

演目の1つが流れるショーパートと、照明器具や舞台装置のトラブル、スタッフ間の責任の所在、仕事の進め方に問題を抱えながらも、店の品質を守る一点に向かって進むスタッフとダンサーの舞台裏パートが交互に繰り返されて、ステージのフィナーレに向かう構成。

 

ショーパートの演目のいくつかは何かしらの制約により、舞台全てではなく一部をトリミングしているようだった。(主に本番衣装とレーティングの兼ね合いだろうと想像している)

 

ボスや株主とのやりとり、新しい演目が完成するスケジュールも気になる支配人(女性)

女性の肉体美しさとその表現を表現するための演目を作り上げるが、新作の提出期限を3度延期した上で、店を一度閉めて休暇が欲しいという監督(男性)

クレイジーホース・パリの文化・芸術とそれが表すものに心酔している演出家(おそらく男性)。

客の前で大開脚をする事もあるダンサーのためにしっかりとした仕事をしたい衣装監督(女性)。

そしてもちろんダンサー(女性)達。

オーディション担当や、大道具、照明、音響、受付、キッチン等々、スタッフは60名ほどだそう。

わざわざ役職と共に外見的性別を書いたのは、男女比率が思ったよりも半々に近い印象なのが意外で、どちらの意見も尊重されていてこそ、表現の品質が守られているのだな、と感じたからだった。

 

そこには、共有した価値観の上で、異なる価値観の間で一方的ではない交渉が行われていた。

 

それぞれが無理なことは無理と言っていたし、それを織り込みつつ、必要なことは説得し、納得を引き出す交渉が行われていた。

 

印象的だったのは、監督が表現したいものの中にダンサー二人の体を密着させて感情的な表現を含む演目があるが、「ダンサー(女性)達は、レズビアン表現をやりたくないようだ。体を密着させることを嫌がって、演じている間にも二人の間に壁が見えてしまう。」として、その演目は外すようだった。

 

もちろんこれは、店で出す品質に達しないから下げるという話ではあるのだが、強権的に「できないならやれる奴に変える」「圧力をかけてやるようにさせる」というようなことは、少なくとも映像の範囲に見当たらなかった。

この辺は映像化するのだから当然といえば当然だが、ダンサーも尊重され、プライドを持って働いていることが窺えた。

 

オーディションのシーンではライトに照らされた時の体つきでの審査を行っていた。

 

クレイジーホースでは、メイクをしてウィッグをつけてしまえば個人を識別するのが(見慣れた人でなければ)難しいくらいに美的採用基準があるようだった。

 

ちなみに、ダンサーのオーディションにMtFトランスジェンダーの方も参加していたのも印象的だったな。

 

私は普段、公共の場における性的表現には敏感な方だが、ゾーニングエリアの中に入ればコンテンツを楽しむこともある。

 

仕事柄、風俗のパネルや宣材写真の加工もするし、コンテンツのモザイク掛けもする。

ニューハーフショーパブや店で取材する事もある。

国内海外のコンテンツの性質の違いも、異性愛者、同性愛者のコンテンツも、二次元表現についてもある程度は把握しているし、男女どちらの肉体も美しいと思う。

 

誰しも持ち前のものを仕事に活かすことに、表現したいもの異論はないが、売り手と買い手の間に挟まり、宣伝する人が、その意味に無頓着すぎると思うことは多い。

 

私は性自認も肉体も女性だが、時には自分の身体も美しいと思う事もある。

こういうことを言うと、じゃあ自分が見て判定してやろうと思う人が沸くのが嫌で普段は言わない。そう言う世界に誰がした。

 

そういう気持ちで、この映像の世界観と、現実を比べてしまうのだった。